メモメモメモ

ヒトサフの奴。またあとで続き書こうっと……。

 むかしの話だ。
 児童養護施設、つまり孤児院で寝て食って寝て食って寝て食って、その合間に他のつまらないガキどもとじゃれあっていたとき、僕は近くのスーパーマーケットで三本の色鉛筆をズボンのポケットに押し込んだ。黄色と青とグレー。持って帰って安っぽいざらざらした画用紙にめちゃくちゃに空でも描き殴ったら愉快だろうと思ったのさ。
 精算せずにレジを抜け、自動ドアをくぐろうとするところで、ミルク色のコートを着たばあさんが、ぼうや、と僕を呼び止めた。太った体を揺らすようにして他の客を押しわけながら、バターを舐めるような気色悪い声音でね。「きみ、どこの子からしら?」
 それだけだったよ。
 僕は季節外れの小さなつむじ風みたいな勢いで正面の門を目指して駆けだした。駐車場をがらがら横切っていたショッピングカートにぶつかったけれど、かまうものか。くぐもった叫び声が聞こえたよ。で、だからどうだっていうんだい。こっちは急いでるんだよ! しばらく脇目も見ずに走って、最初にぶち当たる十字路で後ろを振り返り、追っ手がいないことを確かめると、急に馬鹿馬鹿しくなった。小さな橋にさしかかったところで、水草だらけの川の水面にポケットの中にあったもの全部投げ捨てて帰り道を歩いた。いま思えば、どうしてあんなものを盗んだんだろう。ホームにだって色鉛筆は山ほどあった。大半は折れて、芯もなくなりかけていたけれど、それでも色鉛筆であることには変わりないのにね。
 数日くらい、あのばあさんが突然孤児院に訪ねてくるとか、不意に保母付き添いで交番に呼ばれるとか、そういったことを考えていたのだけれど、一週間たっても僕の恐れていた事態は起きなかった。一ヶ月もたてば、僕はまたスーパーマーケットに出入りするようになった。規則正しく棚に並び、僕の目を奪っていたカラフルな何かにはいまや魅力を全く感じなくなっていた。交通安全の女の人が言ってただろ? 罪悪感とスリルを支払って、右を見て左を見てもう一度よーく左を確認して、黙ってだぼだぼの服に突っ込めば、全部、手に入れることができるのさ。もちろん、二度と僕はそういうことはやらなかったけどね。言っただろう。灰色になっちゃったんだよ。僕が欲しかったのは宝箱に残ってるような、綺麗できらきらしてずっと大事にできるようなものだったのに……。
 ねえ、きみは一体どのくらいの人間がスーパーマーケットのカウンターに並ぶってことを考えることがあるだろうか? スーパーマーケットでなくてもいい。くたびれたスーツを着たサラリーマンが朝七時のバス停に何人並んでいるか、でもいいんだよ。いまこの研究所にはどのくらいのドクターがいて、何人の看護婦がいて、柵つきの窓のある、頭のおかしい患者が閉じこめられている部屋がいくつあるかなんて、ねえ、考えたことあるかい。

 そんなことを知らなくても太陽は昇って西に落ちこんでいく。そこに絶望を感じたことはないかい? 誰も僕を知らなくて、僕も誰も知らなくて、それでも地球が太陽が、僕の知る限りの惑星が、ぐるぐる回転して無為の時間を黒く塗りつぶしていく。
 アダムもイブも知恵の実も、楽園さえも存在せず、毛だらけの獣から二足歩行できるようになったことに絶望を感じないかい。そこには神も悪魔も救いも何もなくて、いまこうやって僕を見ている君しかいない、それなのに君は僕の何もしらなくて、僕も君の一片さえ知ることがない……。