死にてぇ……

コミケから帰るとき、夜行バスを使ったんだけど(バス大好き)ふっと前を見ると私の苦手な人がいてねえ。苦手というか私が苦手なだけで彼女からは顔も見たくないと宣言されているわけで彼女にしてみれば気持ちの悪いモノ見せてすまんかったという。でも私だって頭おかしいけど、人集めてなじるとかお前のやったことも相当普通じゃないって判断されてるぜ。とにかく、私はビクッとした。向こうも明らかに私を認めた様子で、一瞬視線が絡みあったんですけど_| ̄|○

バスに乗り込んだあとは薬を飲んで泥みたいな眠りで眠ったけど、ずっと気になってた。間違いであればいいと、ずっと思ってた。でも、なんかあれ、確定っぽい。そもそも私は人間の顔は覚えない。名前も覚えない。一年以上つきあってる担当医の名前もすぐに間違えて、受付で言い直されるほどだ。カウンセラと話しているとき、「確かに人の名前には興味なさそう」と言われて、そんな馬鹿なと憤慨した次の瞬間、精神科の教授の名前を間違えて「やっぱりそうなんだ」と笑われた。しかし、まあ、人の名前はその人間の本質ではない、と思う。ラベリングするものにすぎない。その人間を表現しない。HNは結構覚える。そこに意味があるから。私のHNは虚無の名前だと思う。中身がなく、あるいは器が壊れていて、そこに注ぐものは決してその器を満たさない。この話はおいとくとして、彼女の顔を覚えていたのだな。まあ、覚えていないと、顔も見たくないとか私に言った人を避けようにも避けられないわけで、人間の本能が私に記憶させていたのかもしれない。そんな人間の記憶のメカニズムはどうでもよくて、いま、真実を知ったところで、怖くて悲しくて恐ろしくなった。

まだ書ける?

いや、正直わからん。書くのがきつい。さっさとカッター握って何かを傷つけてしまいたい。泣きたい。そんで死にたい。っていうか、死ねばいいのに。さっさと。

理解者が欲しい?

理解してもらおうと思ったけど、だめだった。人は自分の解釈したいように物事を見、自分の思ったとおりに語る。それだけだ。そもそも、私は人に理解してもらおうと思ってないし。その努力をしていないのに理解してもらおうと考えるのは傲慢だ。でも、もうその努力をしてもしょうがない。

でも、寂しい?

わからない。そうかもしれない。人はじぶんの立場でしかものを見ることができないのに、中立していると思ってる。それが嫌だ。分別くさい顔をするな。さも親切をしているかのように開く口を閉じろ。

断罪がほしい?

それで浄化されるなら。全てが。でも、多分それは消えないんだろう。だからキリスト教はアダムとイブが罪を犯したから生きることが苦しいと説明しているのだろう。

困ったな……。

困った。困った? 困らない。このまま泥を這って生きろというのが私に与えられた、生きることへの呪いだ。

なんかもー祖母から何度も電話がかかってきて素直に泣くことさえできないのかと。