CROSS†CHANNELを今ごろ考察してみる

クロスチャンネル ~To all people~ 通常版

別件で書いたものを転載しておく。

ゲームをやり直したというわけではなく、一年以上前にプレイした記憶をたどって、という感じなので、うろ覚えもあるのだが、結局私の論点というか、腑に落ちないところはなぜ太一が皆を現実に帰したのか、というところにあった。

つまり、なぜ、ひとりで七日間の繰り返しを耐えるのか、それはいかにして、ということ。

で、ループを考えると、これはもう地獄の苦しみだとしかいいようがない。成長も何もなく、ただ停滞している時間。加えて、世界にひとりしかいないという永遠の孤独。まさに、生きる、というただそれだけの(唯一ともいえる)行為に、計り知れないほどの苦しみが収束している。

にもかかわらず、太一は愛している人間と別れることを選ぶ。人は傷つき、苦しみのなかにあって、また人とつながることを望む、という意味深いメッセージを送りながら。

なぜ?

うまく表現できないが、それは愛した、そして、愛された記憶のために、としか言いようがないのではないかという気がする。一度でも感じた深い愉悦ゆえに、苦しみを反芻することに耐えるのだと。

太一は、誰もいない世界に向けて、「ただ、生きてください」とメッセージを発する。これはまさに太一が己に向けた、メッセージなのだろう。

絶望しかないのかもしれない。苦しいだけかもしれない。
だが、それでもあえて、生きよという。ただ一度感じた充足を肯定することで、地獄の業苦にも似た生を肯定するのだと。

もうちょっとわかりやすく言うと、「ああ、生きててよかった!」そう思った記憶がいちどでもあるならば、いかに苦しくても、その後の生を生きると、生きるに値するものだと、恐らくそう主張しているのだろう。

あの幸福をもう一度味わいたいと望むことが、焼けた鉄をさえ飲み下させるのだと。

恐らく、CCはそういう物語であったはずなのだ。